百科事典に記されているバレーボールの歴史
平凡社 1988年 世界大百科事典 より
1895年アメリカのマサチューセッツ州ホールヨークYMCAで、体育主事、Wiliam G.Morgan(1870-1942)によって創案された。彼は中高年者の体育を担当していたが、当時、めぼしい屋内スポーツはバスケットボールしかなく、これは運動量が多すぎて彼らには不適切だった。そこで、インドに起源を持つミントンmintonというゲームを下敷きにして、ネットを境に素手で軽いボールを打ち合う形式のゲームを考え出した。当初、モーガンはこのゲームをミントネットmintnette(ミントンのようなゲーム)と名付けたが、<ボールが床につかないうちに打ち返すvolley(テニスのボレーと同じ意味)>ゲームだからと、1896年名称をバレー・ボールvolley ballに変えた。1952年に今日のようにvolleyballという一語になった。

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1949年から男子、1952年から女子の6人制世界選手権大会が、はじまった。オリンピックには1964年の東京大会から正式種目となった。

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1908年アメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドの国際YMCAトレーニングスクールで学んで帰国し、東京YMCA体育主事となった大森兵蔵が、初めて日本に紹介した。しかし彼は1913年に死去したため本格的普及には至らなかった。同年、協力主事 Franklin Hartwell Brown(1882-1973)が北米YMCA同盟から派遣されて来日し、最初関西地区のYMCAで紹介普及を手がけた。このときブラウンは、東洋では体育館がなく野外で行うこと、多数の人が競技することを考えて16人制を指導した。1917年東京芝浦で開催された第3回極東選手権大会に正式種目として採用され、日本はフィリピン、中国と対戦した。以後広く国民に知れ渡り、その後の普及発展の契機となった。1921年の第5回極東大会から12人制となり、1927年の第8回極東大会のとき、日本の提案で9人制に変わった。これより先、1926年から学校の授業でもバレーボールが行われるようになり、1927年には大日本排球協会が結成され、今日の基礎ができあがった。第2次対戦後、1948年に日本バレーボール協会として復活、1951年国際バレーボール連盟へ加盟した。国際ゲームは6人制であることから、日本では6人制と9人制の2本立てとなった。

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